【vol.3】大切な人のために、本気で“商品をつくる”ということ

【vol.3】大切な人のために、本気で“商品をつくる”ということ
目次

2019年3月。
私は会社を辞めました。
きっかけは単純でした。
「大切な人を、大切にする」という自分の信念が、どうしても企業の方針と交わらなかったからです。

現場で汗を流すサロンの先生方が、報われない。
それだけは、どうしても受け入れられなかった。


独立すると決めた時、私は不安よりも、ある種の“安心感”がありました。

「前職で扱っていた酵素ドリンクと同等クラスのものが、OEMで作れる」
「製造元から特別仕様で供給してもらえる」

そう聞いていたからです。

ラベルは変えても、中身は信頼できる。
セールストークも価値訴求も、これまでの経験がそのまま使える。

「これならいける。絶対に売れる」
私は、そう信じていました。


けれど、そんな私に、ある経営者たちはこう言いました。

「それ、前の会社にうまく利用されてるだけちゃうか?」
「同じ商品、同じ売り方、同じマーケット。何が違うねん」
「ビジネスって、そんなに甘くないで」

正直、悔しかった。

「そんなはずない」と思う自分もいれば、
「いや……もしや」とうっすら不安を感じる自分もいた。


決定的だったのは、OEM元に「配合比率を開示してほしい」とお願いしたときのこと。

「うちは、成分の詳細は出していません」

一瞬、言葉を失いました。

営業マンであれば、それでもいいかもしれない。
でも、私はこれから“メーカーの社長”になる立場です。

「自社商品なのに、中身がわからないって……そんなことがあっていいのか?」

OEMとはいえ、自分の名前をつけて世に出すもの。
誇りと説明責任を持てない商品を、私は売りたくありませんでした。


私は、改めて原点に立ち返りました。

“ほんまにいいものを、届けたい”

そう思った瞬間から、日本中の発酵エキス製造工場を探し始めました。

北海道から九州まで、電話をかけ、メールを打ち、
直接足を運び、
製造現場の衛生管理や、原料の農薬使用履歴まで確認しました。

その過程で、ある事実に突き当たりました。

「すべての原材料を有機・無農薬でつくっている酵素ドリンクは、ほぼ存在しない」

多くの工場では、こう言われました。

「一部は無農薬ですけど…」
「残留農薬の基準はクリアしてますから」
「全原料を無農薬? それは現実的に無理ですね」

「やはりか」と思う一方で、どこか心が冷えていく自分がいました。
本当に、納得できる酵素ドリンクなんて、この世にないのかもしれない……と。


そんなとき、ふと耳に入ってきたのが、ある瓶詰めメーカーの存在です。

そこは、発酵エキスを製造しているさまざまな工場と取引があり、
商品開発の“中継地点”として、業界全体に精通している会社でした。


私は、「美容ディーラー・横井サトル」と名乗って、
探偵のような気持ちで偽名の名刺を握りしめ、情報収集しようと試みました。笑

けれど、その営業マンは開口一番こう言いました。

「ああ、〇〇社の時さんですよね? 噂は聞いてます」
「あなただったら商品化できる可能性がある発酵エキス製造会社が、ひとつあるんです。理由は話せば長くなるので、割愛しますが、時さんが、本当にやりたいと思っていることは、ここの工場だったら叶えられます。」


紹介されたのは、“表に出ない工場”

実は、そこは、日本で唯一、有機JAS認証の発酵エキスを作っている会社です

ホームページも看板もなく、住所も地番表記。
滋賀の山奥にあるその工場は、ただひたすら「本物の発酵」を追求している場所でした。

ただし、その工場には“ひとつだけ問題”があった。

「すでに多くの商品開発を抱えており、原料の余裕がない」

それでも、私は惹かれました。

この会社となら、何か変わるかもしれない——
そう思わせる何かが、そこにはありました。


そして、迎えた運命の対面。
2019年5月20日、新大阪駅構内の喫茶店。

私は、その製造工場の社長と初めてお会いしました。

名刺交換をしようとした瞬間、
社長は私をじっと見つめ、こう言いました。

「前の会社、辞められてよかったですね」

……え?

なぜ、初対面でそんなことを?
私は一瞬、思考が止まりました。


そして、手渡された名刺。
そこには、私が本気で探し求めていた“オーガニック”の証
有機JASマークがしっかりと印字されていたのです。

胸がざわつきました。
でも、驚きはまだ終わりませんでした。

社長はこう続けました。

「もう一枚、面白い名刺をお見せしましょう」

そう言って差し出された名刺には、
**“〇〇発酵エキス工場 専務取締役”**という肩書きが記されていたのです。


……まさか。

それは、私が前職でOEMを受けていた、
まさに、あの発酵エキスを世に送り出した本人だったのです。

つまり目の前にいるこの人は、
私が“良い商品だ”と信じて販売してきた商品を、最初につくった当の本人だったのです。


社長は言いました。

「あの商品は、もう無農薬でも何でもない。中身は、イソマルトオリゴ糖だらけで、ズサンな商品設計になってしまっている」
「時さん、原材料を一度ちゃんと見なさい。自分で勉強しなさい」

私は、これまで感じてきた疑問をすべてぶつけました。

その社長の回答はすべて明快で、核心的な回答ばかりでした。
気づけば、私は心の中で、こうつぶやいていました。

「……自分は、なにを売ってきたんだろう」
「お客様に、どんな言葉で説明してきたんだろう」
「それは、“誰のための商品”だったんだろう」


言葉が詰まりました。

でも、それでも私は、勇気を振り絞ってこう伝えました。

「私はただ、お世話になっている“大切な人”に、
自信を持って商品を届けたいだけなんです。
本当に、それだけなんです。」


社長は少し黙り、やがてこう言いました。

「原材料の余裕はないけど、なんとかしてあげる。
私も独立して10年。こうして出会ったのも“縁”やと思う。
面倒見るから、頑張りなさい」


私は、その言葉に涙が出ました。

この人となら、嘘のないものが作れる。
そう確信したのです。


たとえ時間がかかっても、
売上が不安定でも、
マーケティングが未熟でも、

「本当にいいもの」を、「本当に届けたい人」に届ける。

これだけは、絶対に曲げたくなかった。


2019年8月8日。
リアン株式会社として、最初のプロダクトが世に出ます。

商品名は——「b-ternal BASE」

それは、マーケティングや市場戦略から生まれたものではなく、
“大切な人を、大切にする”という理念から生まれた、命のような商品でした。


[次章予告]

第4章|「自分の魂を削ってでも、守りたかったもの」

── 発酵エキスとの出会いが導いた、人生最大の覚悟



時 昴
記事を書いた人
時 昴さん