消去法の中に、“道”がある──千日回峰行者から学ぶ、生き方の選択

消去法の中に、“道”がある──千日回峰行者から学ぶ、生き方の選択
目次

昨日は、回峰行を満行された光永圓道阿闍梨のお話でしたが、

本日は、現在、行を実践されている真っ只中の

行者さんにもお時間をいただき、色々なお話を聞いてきましたので、

その際のお話をしたいと思います。


私がもっとも心を動かされたのは、この一言です。


「挑戦ではなく、消去法で選んだ道だった」


行者様はこう語ります。


「人生で本当に大切なのは、

“何をするか"より、“何をしないか"を決めること」


私たちは、何かを「やってみたい」と思うより前に、

「これは自分の生き方じゃない」と、

心の中で何かを手放す決断をしている。


その“残ったもの"こそが、

本当に歩むべき「道」なのだと、、、


「やりたいこと」ではなく、

「やらずにいられないこと」


行者様は、学生時代は、教員の道を目指していたそうです。

でも、何かが違う。

心が動かない。


そこから、中国古典、

仏教、修行、そして師との出会い。


すべては「この生き方は違う」という消去法の連続だったと言います。

その末に、「やらずにいられない」ものだけが残った。

それが、修行という道でした。


とても印象的だったのは、

お加持(お祈り)をすることについての姿勢でした。


「奇跡なんて起きるかどうかわからない。

でも、自分の姿を見に来てくれた人がいるなら、

“こちらこそ、ありがとう"と言いたい」


これには、深く感動しました。


一般的には、お加持を授ける側は、

「どういたしまして」というスタンスです。


しかしながら、

行者さんがおっしゃるのが、

「ありがとうございます。」と言った姿勢。


誰かの願いを受け取ること。

それに応えようと全力で祈ること。

そして、「ありがとう」と先に差し出すこと。


これこそが、


信じるという行いの

最たる形なのではないでしょうか。



もう一つ心に残ったのは、

「悟り」についての言葉です。


「悟りなんて、開いたと感じたことはない。

でも、近くに仏様がいてくださっている感覚になったことはある。」


誰しも、何かを達成しなきゃ、

変わらなきゃ、と思ってしまう。


でも、日々の繰り返しの中で、

“変わらない"という事実を受け入れる勇気。


そのままで十分だと思える境地。


それこそが、現代に生きる私たちが、

本当に目指すべき“静かな悟り"なのかもしれません。


「利他とは、“共に生きる"ということ」


最後に、


「利他とは、自己犠牲ではなく、

共に生きて、共に幸せになることである」


仏教とは、ただの献身ではない。

自分も、相手も、等しく幸せに──


それが、“慈悲のカタチ"だと、私は改めて思いました。



これを読んでくださっているあなたが、

もし今、何かに迷っていたとしたら


「やらない」と決めたものの先に、

「どうしてもやりたい」が残っていないか?


そこに、“道"があるのかもしれません。


==========


美容、健康事業者様の学びの場

■ オンラインサロン "team lien"

https://ad.fants.jp/portalink/team-lien



ご意見、アドバイスなどがあれば、LINEから、いつでも

お待ちしております!!^^

■LINE ID : ( https://lin.ee/vma9ZjX )

時 昴
記事を書いた人
時 昴さん